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タナトフォビア(死恐怖症)と後悔しない生き方

タナトフォビアとは、、、

死そのものや

死に関連するものに対する

恐怖症のこと。。。

 引用:

死恐怖症-タナトフォビアが感じる「実存の恐怖」 : 凹凸ちゃんねる 発達障害・生きにくい人のまとめ

自分が死んだらどうなるのだろうか?

  • 意識の喪失による無
  • 死に伴う孤独や痛み
  • 悲惨な目や災害にあって死ぬ
  • 生や死そのものの不可解さ
  • 死んで人から忘れられる
  • 永遠
  • 身近な人の死
  • 生きることやこの世のすべてを無意味に感じる

上記の事を考え出すと思考が止まらなくなり、恐怖・発狂恐怖に陥るそうですが、、、ある人は、タナトフォビアを、、、

①慢性的タナトフォビア

 死に対する恐怖が常に付きまとい、倦怠感や疲労感、無気力状態になるか、あるいは暗鬱で絶望的な気分になったり、悲哀や悲壮感に包まれる。ひどい場合は毎日死について考え、常に精神的苦痛を感じている場合もある。夜や寝る前は特に症状がひどくなるため、「寝たらそのまま目覚めないのではないか?」などの不安が頭をもたげたり、恐怖感や不安によって心が休まらず眠れなくなるなどして睡眠障害不眠症を引き起こす場合もある。よって症状が重ければ重いほど必然的に日常生活に支障をきたし、死が頭から離れなくなり常に憂鬱でやる気が出なかったり不安に悩まされることから、うつ病に近い。

②発作性タナトフォビア

 死に対する恐怖やイメージが瞬間的に増長してあるレベルに達したとき一種のパニック発作状態に陥る。やはり起こる頻度に伴わずタイミングは夜や寝る前であることが多い。症状としては発作が起きると同時に精神的苦痛と恐怖を伴いながら動悸が激しくなり、じっとしていられなくなってベッドから飛び起きたり椅子から立ち上がったり、ひどい場合は叫ぶこともある。それらの症状はたいてい長くても1分程度で収まり、一度発作が起きれば次の発作が来るまでは安静である。発作の来るタイミングは個人差があり不定期で、年に数回の人もいればほぼ毎日発作が起きている人もいる。日常生活については、症状が軽い場合や寝る前のみの場合は基本的に問題ないが、重い場合は公共の場や会社・学校で発作が来ないかという不安が付きまとうことから、パニック障害に近い。

③上記二つを併発

 

より具体的に表現すると、、、

末期がんでベッドの上で死を待つ状態になったり、ISISに拉致されて数分後に首を切り落とされる状態の時に感じている死の恐怖を四六時中感じている状態。死の直前になって初めて意識するような恐怖を常に意識しながら生きている。タナトフォビアでない人は「大袈裟にも程がある。」と笑い飛ばすがタナトフォビアを発症した人でないと絶対に理解できない。。。

 

解決策として、、、

精神疾患の一種(強迫性障害・不安神経症の延長)だと思われるので、精神科を受診し、処方された 薬を飲む

・(余計なことを考えないように)

  時間的余裕をなくす

  子供を作る

・気休めになる言葉や本を探す

 

 他の恐怖症は、恐怖の対象そのものを回避(例:高所恐怖症なら高所を回避)すればいいが、根本的な解決法がないタナトフォビアの場合は、「恐怖や不安を消そうとはせずに、抱え込んだまま動こう。」という考え方の森田療法の本がおすすめとしてありました。

「死を迎えたらいったい何処へ行くのか?」

そして、

「自分はどうなるのか?」

私にはわかりません。。。

ですが、

死を迎える前に後悔しないために、今からできることを先人の知恵から学ぶことはできます。

引用:

死ぬ前に後悔したくない20のこと : カラパイア

・他人がどう思うかなんて、気にしなければよかった。

  他人は自分が思うほど自分のことを考えてはいない。そんなことばかり気にして無駄なエネルギーを使うのはもったいない。

 

・もっと幸せをかみしめて生きればよかった。

  「幸せ」は自分で何とかできる、心の持ちようであることに気づいたときは、もう遅すぎた。


・もっと他人のために尽くせばよかった。

  他の人のために何かをすることは、人生をより意味のあるものにする。


・あんなにくよくよ悩まなければよかった。

  一歩離れて自分を笑い飛ばせれば、人生はより楽しくなる。


・もっと家族と一緒に時間を過ごせばよかった。

  仕事にかまけて、世界中を転々とし、家族に不満を持ちながら年を取っていく人もいるが、優先すべきところが間違っていたと気づくだけだ。


・もっと人にやさしい言葉をかけてやればよかった。

  相手をちゃんと評価せず軽く見た結果は、たいていまずいことになるものだ。感謝の気持ちを忘れずに。


・そんなに心配しなければよかった。

  日記をつけて記録をし、過去を振り返ってみたら、どうしてあの時あんなにやきもきしたのか不思議に思うだろう。時間が癒してくれる。


・もっと時間があったなら。

  年を取るにつれ時間がたつのが早く感じるという人が多いが、子供のころ過ごした6週間の夏の休暇は、確かに永遠に続くような気がした。時間が加速度を増しているなら、一瞬一瞬を有意義に過ごすことがさらに大切だ。


・もっと冒険して、思い切って生きればよかった。

  なにを冒険だと感じるかは人によって違うが、ぬるま湯の人生を送っているときにそれには気が付かない。後になってみれば、人生で大胆にならなければいけなかった多くのチャンスを逃したと感じる人もいるだろう。チャンスの神様に後ろ髪は無い。


・もっと自分を大切にすればよかった。

  病気に苦しんだり、年を取ってくると、若いうちにもっと健康的な食生活を送り、体を動かしてストレスをためずに生活しておけば、今とは違っただろうにと思うものだ。


・他人の言うことより、もっと自分の直感を信じればよかった。

  自分で決断し、その決断に自信を持てば、達成感が得られ、人生を楽しむことができる。自分の本心を裏切ると、怒りとやりきれなさを生むだけ。


・もっと旅に出ておけばよかった。

  旅は人間の心を大きく成長させる。いくつになろうが、子供がいようがいまいが、旅はできるものだ。しかし、お金がない、家のローンがある、子供が小さいなど、旅に出ない多くの人たちはあらゆる理由をつけて自分に言い訳する。後悔して初めて、どんな状況でも旅は可能だったということを知るのだ。


・あんなにがむしゃらに働かなければよかった。

  ほどほどにしておけばよかったという願望はいつもあった。そして、出世してお金持ちになることは、必ずしも充実した人生とイコールではないと気づく。


・一瞬一瞬をもっと大切に生きればよかった。

  子供の成長を見ていると、人生は短く、いかに時間が貴重なものか痛感する。私たちは年を取るにつれ、次第に今この瞬間を大切に生きることができなくなっていく。


・子供たちに好きなことをさせてやればよかった。

  価値観や信念の違いで家族をバラバラにしないためにも、愛、思いやり、共感はとても大切だ。


・最後に言い争いなどしなければよかった。

  人生は短く、愛する人との最後の会話がいつになるかは誰にもわからない。その瞬間のことなど、人はたいてい考えていないものだから。


・自分の情熱に従えばよかった。

  安定した収入、つまらないけれど堅実な仕事、居心地のいい人生はなかなか捨てがたい。でも、夢や生きがいを捨ててまで固執すべきことではないことに、死ぬ直前まで気が付かないものだ。


・もっと自分に正直に人と接すればよかった。

  周りを喜ばせれば人気者になれ、聞き分けが良ければパートナーに誰かと駆け落ちされることもないと思いがちだ。年を取るにつれ世渡りがうまくなり、身の処し方がわかるようになるが、自分自身の幸せを犠牲にすることはない。


・あのとき、本音を言ってしまえばよかった。

  思い切って本音を言ってしまえば、あとでほぞを噛む思いをすることはないだろうが、黙っていれば、後悔が一生心について回る。


・何か一つでも目標を達成すればよかった。

  オスカーを取る必要も、起業する必要も、マラソンを完走する必要もないが、どんな小さなことでもいい。目標を立て、それを達成することは重要だ。

 恐怖に打ち勝つ術を身に付けたいものです。